武蔵境営業所~三鷹駅 突如、大減便の謎

三鷹市北部のメインストリートである連雀通り。小田急バスは結構走っているのだが、回送のほうが数が多い。市境に停まる鷹53系統は昼間毎時3本しかなく、回送のバスに乗せてくれればいいのに、と思ってしまう。

実は以前、小田急バスの武蔵境営業所と三鷹駅の間を、数えきれないほどのバスが営業運転していた。要するに、回送バスにお客さんを乗せてくれていたのである。
これが2009年の秋ごろにゴッソリ回送に化けてしまった。今、上りの時刻表を見ると営業所始発の三鷹駅行きがそこそこ残っているが、下りについては夜間の数便を除き残っていない。
今でも時々、系統番号なしで「三鷹駅」「武蔵境営業所」という行き先を出したバスを見かける。これが当時の「乗れる回送バス」の残党である。

「空で走らせるくらいなら…」という親切心で営業運転していたと思われる回送バス。これをなぜやめてしまったのか、確かな情報は持ち合わせていない。

しかし断片的な情報から察するに、事の発端は「時刻表に載っていないバスを恒常的に運転すること」に対する行政指導ではないかと思われる。制度に詳しくないのだが、路線バスというものは悉くバス停を設け、バス停には時刻表を掲示して、バス会社はその時刻表どおりにバスを走らせるべし――そういう決まりなのだろう。
件の「客を乗せる回送バス」は確かに時刻表に載っていなかった。三鷹駅のように乗り場が複数あると「どのバスが一番先に出るか」ということが分からず、若干不便ではあった。
ただ数分に1本、ガラガラのバスがやってくる便利さはその不便を補って余りあるし、時刻表に載っている「本来のバス」の混雑を相当程度緩和していたので、遠くまで行く人にもメリットがあった。

「乗れる回送バス」を時刻表に載せ、堂々と運行するという手もあったと思う。しかし小田急バスはそれをしなかった。
「面倒だから」という理由もあるのだろうが、時刻表に載せてしまうと、本来の目的である「回送」の役目を果たせなくなるから、という理由もあるのではないかと思う。
回送バスの使命は、本来のバスの発車時刻に間に合うよう始発バス停に着くこと、そして狭いターミナルを不要に占拠しないことだ。道が混んでいればいつもより多少早く営業所を出ることもあるだろうし、逆に早く終点に着けば、すぐさま営業所に引き上げてターミナルを空けることを優先する。遅れがひどければ営業所に戻らず、もう一仕事する。それらのついでに、支障のない範囲で客を乗せるというのが「乗れる回送バス」の立ち位置だったと思う。
これを時刻表に載せて「営業運転することを保証」してしまうと、急いでターミナルに馳せ参じたいときも早めに営業所を出ることはできないし、営業所への帰りも発車時刻までターミナルで待たざるを得ない。だから、時刻表に載せるぐらいなら営業運転をやめます、ということではないかと思うのだ。

回送バスが本当の回送になってからしばらくの間、某市議会議員が度々この問題に斬り込んでいて、広報紙を見ると小田急バスとの交渉経過が書いてあることもあった。その内容を信じるなら、お役所としては「別に、今までどおりの運行形態でもよい」と言っていたようで、回送バスの使命と「ついで営業運転」とを両立させることは可能であるように読めた。
しかし現在に至るまで、回送バスは「復活」していない。今後も復活するきっかけがあるようには思えないが、多少は期待している。

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