上連雀通り北交差点

ホームタウンである市境から若干離れ、別の市境付近(武蔵野市と三鷹市)の話。

市境方面から三鷹駅まで自転車で行く際に通る交差点がこちら。新道北通りが新武蔵境通りと合流するところだ。「半・歩車分離式」といった妙な信号の変わり方をするのだが、今回注目するのは別の点。

新武蔵境通りが整備されたとき、信号機ごとに交差点名が新たにつけられたのだが、この交差点名「上連雀通り北」に一言モノ申したい。英語表記「Kamirenjaku-dori Ave. N.」が特にダメだと思う。

この交差点名を見れば、ほとんどの人は「上連雀通り」という道路があると思うだろう。しかしそのような道路は見当たらない。
「上連雀通り」の「北」を名乗るからには、当の「上連雀通り」は東西方向の道路だと思うが、この交差点を通る東西方向の道路は「新道北通り」であって「上連雀通り」とは呼ばない。

だいたい、この付近は南北に長い短冊状の区画になっており(昔、神田からの避難民に対してそういうふうに土地を分け与えたのだと聞いている)、南北方向に比べ東西方向の道路は少ない傾向にある。この付近で通りの名前がつくような東西方向の主要道は、境南通り、新道北通り、連雀通りぐらいなものである。

では、この交差点名の由来は何だ?という話になるが、私の理解では、これは旧地名である。
この交差点の南東一帯がかつて「三鷹市大字上連雀字通北」であり、今も公会堂の名前などにその名残がある。
想像だが、「通北」の「通」とは連雀通りのことだろう。「通北」に呼応した「通南」という字名もかつて存在し、両者の境は連雀通りである。ちなみに我がホームタウン、井口にも1987年まで「通北」「通南」という字名が存在した。

この理解が正しいとすると、問題の交差点名は、本来「上連雀 – 通北(かみれんじゃく – とおりきた)」のはずである(読みについては調べていないので「どおりきた」の可能性はゼロではないが)。「通り北」の「り」は不要だ。
そして、「上連雀通り」の存在を前提とした「Kamirenjaku-Dori Ave.」という英訳は完全に誤っていることになる。

以下蛇足だが、考えてみれば「新道北通り」というのも妙なネーミングだ。
この道路より南に「新道」という道があるのなら分かるが、該当しそうなのは連雀通りぐらいしかない。連雀通りは知る限り大昔から存在し、新道という感じはない。
旧地名に「大字上連雀字新道北」というのがあるので、「新道北地区を通るから新道北通りなんですよ」という解釈はあり得る。しかし「新道北」の「新道」が何であるかという疑問は解けない。また「字新道北」と「新道北通り」のどちらが先に成立したかも分からない。
夏休みの自由研究にしたいところだが、あいにく私には夏休みがない。

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